蒼色の月明かりの下で

心に残る昔の名画。

エリザベス・テイラー

(キャスト/女優)

『 エリザベス・テイラー 』 Elizabeth Taylor

生年月日 : 1932年02月27日
没年月日 : 2011年03月23日( 79 歳没)
出生地 : イギリス、ロンドン
死没地 : アメリカ合衆国、ロサンゼルス
国籍 : アメリカ合衆国
    イギリス  
職業 : 女優
ジャンル : 映画、テレビドラマ
活動期間 : 1942年~2003年
受賞 :
アカデミー賞
主演女優賞
1960年『バターフィールド8』
1966年『バージニア・ウルフなんかこわくない』
英国アカデミー賞
主演女優賞
1966年『バージニア・ウルフなんかこわくない』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
1959年『去年の夏 突然に』
主な作品 :
『緑園の天使』
『若草物語』
『陽のあたる場所』
『ジャイアンツ』
『熱いトタン屋根の猫』
『バターフィールド8』
『クレオパトラ』
『バージニア・ウルフなんかこわくない』

エリザベス・テイラー

テイラーは「最高の映画スター」と呼ばれている。MGMの映画に出演して大衆から注目されたテイラーは、すぐに12歳で子役スターとなり、その後も成功した映画に出演し続けて、その作品の多くは現在でも「傑作」だと考えられている。映画界で名声を得てハリウッドの象徴となったテイラーは、ハリウッドの名声を高めることに貢献し「スターに昇り詰めた典型例」といわれるようになった。女性社会学者のカミール・パーリアはテイラーを「映画史上最高の女優」と評している。さらにパーリアは、テイラーが自身の出演作に次のような効果をもたらしたとしている。テイラーは1960年代の性革命にも大きな役割を果たした。『PLAYBOY』にほぼ全裸のグラビアを掲載した最初の有名人の一人であり、映画で脱衣シーンを見せた最初の映画女優の一人でもあった。1951年の映画『陽のあたる場所』に出演したときのテイラーは17歳だったが、その成熟振りはハリウッドのコラムニストであるヘッダ・ホッパーに衝撃を与え、ホッパーはテイラーの早熟な官能性について一文をものしたほどである。映画史家のアンドリュー・サリスは、テイラーがモンゴメリー・クリフトと演じたラブシーンについて「チョコレートサンデーを貪っているかのような、あまりに激しい性愛演技に驚愕した」と語っている。映画を離れたテイラーの素顔は「らしくないスター」だったとテイラーの伝記作家ウィリアム・マンが指摘している。著述家グロリア・スタイネムも「うぬぼれを持たない映画の女王。自分の言動を律する達人で、共演するほかの女優と揉め事を起こすことはない」としている。1966年の映画でテイラーが主演した『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の監督マイク・ニコルズは、今まで一緒に仕事をした俳優のなかでテイラーが「もっとも庶民的な心を持っていた」と語ったことがある。テイラーは撮影現場の電気技師や単なるスタッフに対しても「チャリティ会場でロスチャイルド家の一員と出会ったときと同様の接し方をしていた」。映画監督ジョージ・キューカーは、テイラーが「まれにみる美徳である飾らない優しい心」の持ち主だったと語っている。テイラーと二度結婚し、11本の作品で共演した俳優リチャード・バートンは、テイラーの女優としての才能に大きな敬意を払っている。バートンは「彼女(テイラー)は今まででもっとも過小評価されている映画女優の一人だと思うけれど、私は彼女が史上稀に見るすばらしい人だということを知っている。誰も彼女の足元にも及ばないよ」と語っている。

主な出演作品 :
1943年 名犬ラッシー 家路 : Lassie Come Home
1944年 緑園の天使 : National Velvet
1946年 ラッシーの勇気 : Courage of Lassie
1947年 ライフ・ウィズ・ファーザー : Life with Father
1947年 シンシア : Cynthia
1948年 スイングの少女 : A Date with Judy
1948年 奥様武勇伝 : Julia Misbehaves
1949年 若草物語 : Little Women
1950年 花嫁の父 : Father of the Bride
1951年 可愛い配当 : Father's Little Dividend
1951年 陽のあたる場所 : A Place in the Sun
1952年 黒騎士 : Ivanhoe
1954年 ラプソディー : Rhapsody
1954年 巨象の道 : Elephant Walk
1954年 騎士ブランメル : Beau Brummell
1954年 雨の朝巴里に死す : The Last Time I Saw Paris
1956年 ジャイアンツ : Giant
1957年 愛情の花咲く樹 : Raintree County
1958年 熱いトタン屋根の猫 : Cat on a Hot Tin Roof
1959年 去年の夏 突然に : Suddenly, Last Summer
1960年 バターフィールド8 : BUtterfield 8
1963年 クレオパトラ : Cleopatra
1963年 予期せぬ出来事 : The V.I.P.s
1965年 いそしぎ : The Sandpiper
[ 2019/12/18 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

アン・バンクロフト

(キャスト/女優)

『 アン・バンクロフト 』 Anne Bancroft

生年月日 : 1931年09月17日
没年月日 : 2005年06月06日( 73 歳没)
出生地 : ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 女優
主な作品 :
『奇跡の人』
『卒業』
受賞 :
アカデミー賞
主演女優賞
1962年『奇跡の人』
カンヌ国際映画祭
女優賞
1964年『女が愛情に渇くとき』
英国アカデミー賞
主演女優賞
1962年『奇跡の人』
1964年『女が愛情に渇くとき』
1987年『チャーリング・クロス街84番地』
エミー賞
助演女優賞(ミニシリーズ・映画)
1999年『Deep in My Heart』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ映画)
1964年『女が愛情に渇くとき』
主演女優賞(ミュージカル・コメディ映画)
1967年『卒業』

アン・バンクロフト

1931年9月17日、ニューヨーク・ブロンクス区に生まれる。両親共にイタリアからの移民。ブロンクスの高校を卒業後、American Academy of Dramatic Arts、アクターズ・スタジオ、アメリカ映画協会の監督ワークショップなどで学んだ。1951年よりテレビに出演し始めるが、ハリウッドではあまり役がつかず、ニューヨークに戻る。1958年にヘンリー・フォンダ主演の舞台『Two for the Seesaw』に出演し、トニー賞助演女優賞を受賞。1959年に戯曲『奇跡の人』でタイトルロール、アン・サリバン役を演じて評判となる。1960年、2度目のトニー賞を受賞。1962年に『奇跡の人』が映画化され、1962年のアカデミー主演女優賞を受賞した。1964年の『女が愛情に渇くとき』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞してもいる。子宮癌のため、ニューヨーク市内の病院で死去。

主な出演作品 :
1952年 ノックは無用 : Don't Bother to Knock
1953年 ゴールデン・コンドルの秘宝 : Treasure of the Golden Condor
1954年 ゴリラの復讐 : Gorilla at Large
1954年 ディミトリアスと闘士 : Demetrius and the Gladiators
1955年 七人の脱走兵 : The Raid
1955年 紐育秘密結社 : New York Confidential
1955年 シャロン砦 : The Last Frontier
1957年 夕暮れのとき : New York Confidential
1962年 奇跡の人 : The Miracle Worker
1964年 女が愛情に渇くとき : The Pumpkin Eater
1965年 いのちの紐 : The Slender Thread
1966年 荒野の女たち : 7 Women
1967年 卒業 : The Graduate
1972年 戦争と冒険 : Young Winston
1975年 ヒンデンブルグ : The Hindenburg
1976年 リップスティック : Lipstick
1976年 メル・ブルックスのサイレント・ムービー : Silent Movie
1977年 愛と喝采の日々 : The Turning Point
1977年 ナザレのイエス : Jesus of Nazareth
1980年 愛と食欲の日々 : Jesus of Nazareth
1980年 エレファント・マン : The Elephant Man
1983年 メル・ブルックスの大脱走 : To Be or Not To Be
1984年 ガルボトーク/夢のつづきは夢… : Garbo Talks
1985年 アグネス : Agnes of God
1986年 チャーリング・クロス街84番地 : 84 Charing Cross Road
1988年 トーチソング・トリロジー : Torch Song Trilogy
1989年 ハリウッド夢、夢物語 : Bert Rigby, You're a Fool'
1992年 ハネムーン・イン・ベガス : Honeymoon in Vegas
1992年 ラブ・ポーションNo.9 : Love Potion No. 9
1993年 アサシン 暗・殺・者 : Point of No Return
1993年 冷たい月を抱く女 : Malice
1993年 心のままに : Mr. Jones
1994年 南部の風・南軍兵士の妻が語る100年の物語 : Oldest Living Confederate Widow Tells All
1995年 キルトに綴る愛 : How to Make an American Quilt
1995年 ホーム・フォー・ザ・ホリデイ : Home for the Hplidays
1995年 レスリー・ニールセンのドラキュラ : Dracula: Dead and Loving It
1996年 心の指紋 : The Sunchaser
1997年 G.I.ジェーン : G.I. Jane
1998年 大いなる遺産 : Great Expectations
1998年 アンツ : Antz
2000年 僕たちのアナ・バナナ : Keeping the Faith
2000年 真夜中の銃声 : Up at the Villa
2001年 ハートブレイカー : Heartbreakers
2006年 デルゴ : Delgo
[ 2019/12/02 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

グレース・ケリー

(キャスト/女優)

『 グレース・ケリー 』 Grace Kelly

生年月日 : 1929年11月12日
没年月日 : 1982年09月14日( 52 歳没)
出生地 : ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没地 : モナコ
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 女優
活動期間 : 1949年~1956年
モナコ大公レーニエ3世と結婚しモナコ公妃となり引退。
エルメスの鞄「ケリーバッグ」の語源となる。
受賞 :
アカデミー賞
主演女優賞
1955年『喝采』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞 (ドラマ部門)
1955年『喝采』
助演女優賞
1954年『モガンボ』
世界で最も好かれた女優
『泥棒成金』
主な作品 :
『真昼の決闘』
『喝采』
『ダイヤルMを廻せ!』

グレース・ケリー

ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画に出演しデビュー(『Fourteen Hours』)。この作品を見た製作者のスタンリー・クレイマーが『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢した。映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。
1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞。
カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と結婚。公妃となるため女優業を引退、1956年のミュージカル映画『上流社会』が最後の作品となった。なお、1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演している。

主な出演作品 :
1952年 真昼の決闘 : High Noon
1953年 モガンボ : Mogambo
1954年 ダイヤルMを廻せ! : Dial M for Murder
1954年 裏窓 : Rear Window
1954年 喝采 : The Country Girl
1954年 緑の火・エメラルド : Green Fire
1954年 トコリの橋 : The Bridges at Toko-Ri
1955年 泥棒成金 : To Catch a Thief
1956年 白鳥 : The Swan
1956年 上流社会 : High Society
[ 2019/10/15 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

オードリー・ヘプバーン

(キャスト/女優)

『 オードリー・ヘプバーン 』 Audrey Hepburn

生年月日 : 1929年05月04日
没年月日 : 1993年01月20日( 63 歳没)
出生地 : ベルギー、ブリュッセル
死没地 : スイス、ヴォー州
国籍 : イギリス
職業 : 女優
活動期間 : 1948年~1989年
「ヘプバーン・サンダル」の語源となる。
受賞 :
アカデミー賞
主演女優賞
1953年『ローマの休日』
ジーン・ハーショルト友愛賞
1992年『Outstanding Contributions to Humanitarian Causes』
英国アカデミー賞
最優秀主演英国女優賞
1953年『ローマの休日』
1959年『尼僧物語』
1964年『シャレード』
エミー賞
情報番組個人業績賞
1993年『オードリー・ヘプバーンの庭園紀行』
グラミー賞
最優秀子供向けスポークン・ワード・アルバム賞
1994年『オードリー・ヘプバーン 魅惑の物語』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞 (ドラマ部門)
1953年『ローマの休日』
1990年 セシル・B・デミル賞
トニー賞
最優秀演劇女優賞
1954年『オンディーヌ』
1968年 特別賞
主な作品 :
『ローマの休日』
『ティファニーで朝食を』
『マイ・フェア・レディ』

オードリー・ヘプバーン

ヘプバーンはブリュッセルのイクセルで生まれ、幼少期をベルギー、イングランドで過ごした。オランダにも在住した経験があり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツが占領していたオランダのアーネムに住んでいたこともあった。各種資料の一部に本名を「エッダ・ファン・ヘームストラ」とするものがある。これは、戦時中にナチス・ドイツ占領下にあったオランダで、「オードリー」という名があまりにイギリス風であることを心配した母エラが、自らの名前をもじって(EllaをEddaとした)一時的に変えたものである。
イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』で主役を演じ、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得した。その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『シャレード』(1963年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『暗くなるまで待って』(1967年)などの人気作、話題作に出演している。
女優としてのヘプバーンは、映画作品ではアカデミー賞のほかに、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞し、舞台作品では1954年のブロードウェイ舞台作品である『オンディーヌ』でトニー賞を受賞している。さらにヘプバーンは死後にグラミー賞とエミー賞も受賞しており、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人となっている。
ヘプバーンの女優業は年齢と共に減っていき、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。ヘプバーンがユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身している。
1992年終わりには、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲一カ月後の1993年に、ヘプバーンはスイスの自宅で虫垂がんのために63歳で死去した。

主な出演作品 :
1948年 オランダの七つの教訓 : Nederlands in Zeven Lessen
1951年 若気のいたり : One Wild Oat
1951年 若妻物語 : Young Wives' Tale
1951年 素晴らしき遺産 : Laughter in Paradise
1951年 ラベンダー・ヒル・モブ : The Lavender Hill Mob
1952年 初恋 : The Secret People
1952年 モンテカルロへ行こう : Monte Carlo Baby
1953年 ローマの休日 : Roman Holiday
1954年 麗しのサブリナ : Sabrina
1956年 戦争と平和 : War and Peace
1957年 昼下りの情事 : Love in the Afternoon
1957年 パリの恋人 : Funny Face
1959年 緑の館 : Green Mansions
1959年 尼僧物語 : The Nun's Story
1960年 許されざる者 : The Unforgiven
1961年 ティファニーで朝食を : Breakfast at Tiffany's
1961年 噂の二人 : The Children's Hour
1963年 シャレード : Charade
1964年 パリで一緒に : Paris When It Sizzles
1964年 マイ・フェア・レディ : My Fair Lady
1966年 おしゃれ泥棒 : How to Steal a Million
1967年 いつも2人で : Two for the Road
1967年 暗くなるまで待って : Wait Until Dark
1976年 ロビンとマリアン : Robin and Marian
1979年 華麗なる相続人 : Bloodline
1981年 ニューヨークの恋人たち : They All Laughed
1989年 オールウェイズ : Always
[ 2019/09/29 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

シャーリー・テンプル

(キャスト/女優)

『 シャーリー・テンプル 』 Shirley Temple

生年月日 : 1928年04月23日
没年月日 : 2014年02月10日( 85 歳没)
出生地 : アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 女優・外交官
主な作品 :
『ハイジ』
『輝く瞳』
『テンプルちゃんお芽出度う』
『テンプルの福の神』
受賞 :
アカデミー賞
アカデミー賞特別賞(1935年)
その他の賞
全米映画俳優組合賞生涯功労賞

シャーリー・テンプル

彼女は自分の人生には3つの時期があったと述べている。女優の時期と、子育ての時期と、外交官の時期である。アメリカ映画女優として1930年代から1940年代に活躍。映画女優としては、特に1930年代の子役時代の活動が名高い。6歳にしてハリウッドの伝説的なスターであり、世界的に非常に高い知名度があり、しばしばコカコーラやニューヨークにある自由の女神と比較された。その後、ティーン・アイドル・スターとなった。1950年に幸福な結婚をした後に映画界を引退し、1950年代と1960年代前半は3人の子供の子育てに専念すると共に、アメリカのテレビに出演した。1960年代後半から1990年代後半の時期は外交官や数社の大企業の重役を務めた。
シャーリーは約60年前に映画から引退しているが、アメリカでは現在にいたるまで、子役の人気投票をすると、現役の子役たちを差し置いて必ず1位か2位になる存在である。オードリー・ヘプバーンと同様に過去のスターでありながら、アメリカでは一種の「現在のスター」であり続けていると言っていい。
シャーリーはアメリカでは勤勉さと真面目さと温かさと優雅さと品行方正で知られており、伝説的な映画女優としてまた著名な外交官として高い尊敬を受けている。

主な出演作品 :
1934年 歓呼の嵐 : Stand Up and Cheer!
1934年 可愛いマーカちゃん : Little Miss Marker
1934年 ベビイお目見得 : Baby Take a Bow
1934年 久遠の誓ひ : Now and Forever
1934年 輝く瞳 : Bright Eyes
1935年 小聨隊長 : The Little Colonel
1935年 私のテンプル : Our Little Girl
1935年 テンプルちゃんお芽出度う : Curly Top
1935年 テンプルの愛国者 : The Littlest Rebel
1936年 テンプルの燈台守 : Captain January
1936年 テンプルの福の神 : Poor Little Rich Girl
1936年 テンプルのえくぼ : Dimples
1936年 テンプルの上海脱出 : Stowaway
1937年 テンプルの軍使 : Wee Willie Winkie
1937年 ハイデイ : Heidi
1938年 農園の寵児 : Rebecca of Sunnybrook Farm
1938年 天晴れテンプル : Little Miss Broadway
1939年 テンプルちゃんの小公女 : The Little Princess
1940年 青い鳥 : The Blue Bird
1942年 夢見るお年頃 : Miss Annie Rooney
1944年 君去りし後 : Since You Went Away
1944年 恋の十日間 : I'll Be Seeing You
1945年 接吻売ります : Kiss and Tell
1947年 どたばたハネムーン : Honeymoon
1947年 独身者と女学生 : The Bachelor and the Bobby-Soxer
1948年 アパッチ砦 : Fort Apache
1949年 我輩は新入生 : Mr. Belvedere Goes to College
1949年 令嬢画伯 : Adventure in Baltimore
1949年 シービスケット物語 : The Story of Seabiscuit
[ 2019/09/13 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

ジャネット・リー

(キャスト/女優)

『 ジャネット・リー 』 Janet Leigh

生年月日 : 1927年07月06日
没年月日 : 2004年10月03日( 77 歳没)
出生地 : カリフォルニア州マーセド
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 女優
活動期間 : 1947年~2005年
家族 娘 : ジェイミー・リー・カーティス
主な作品 :
『サイコ』
受賞 :
ゴールデングローブ賞
助演女優賞
1960年『サイコ』



15歳で駆け落ちしたが4ヶ月で破局、19歳で大学の同級生と再婚した。休暇中、写真のモデルとして写った写真を、女優ノーマ・シアラーが偶然見て、「この顔は絶対映画に出るべきよ」と映画関係者にスカウトを勧めたという。20歳で当時若く素朴な田舎の少女を捜していたメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約する。彼女の最も有名な出演作は、アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』(1960年)である。同作での演技でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞を受賞した。また、有名なシャワーシーンの演技から、今日では「絶叫クイーン」の1人として挙げられることがある。娘のジェイミー・リー・カーティスもまた、『ハロウィン』(1978年)での演技が評価され、同様に称される。

主な出演作品 :
1948年 故郷の丘 : Hills of Home
1948年 ワーズ&ミュージック : Words and Music
1948年 暴力行為 : Act of Violence
1949年 若草物語 : Little Women
1949年 赤きダニューブ : The Red Danube
1949年 傷心の愛 : The Doctor and the Girl
1949年 フォーサイト家の女 : That Forsyte Woman
1949年 ママの青春 : Holiday Affair
1951年 ブロードウェイへの2枚の切符 : Two Tickets to Broadway
1952年 血闘(スカラムーシュ) : Scaramouche
1953年 裸の拍車 : The Naked Spur
1953年 魔術の恋 : Houdini
1954年 炎と剣 : Prince Valiant
1954年 底抜けニューヨークの休日 : Living It Up
1954年 フォルウォスの黒楯 : The Black Shield of Falworth
1954年 悪徳警官 : Rouge Cop
1955年 皆殺しのトランペット : Pete Kelly's Blues
1955年 マイ・シスター・アイリーン : My Sister Eileen
1956年 死の猛獣狩 : Safari
1957年 ジェット・パイロット : Jet Pilot
1958年 黒い罠 : Touch of Evile
1958年 ヴァイキング : The Vikings
1958年 休暇はパリで : The Perfect Furlough
1960年 奥様ごめんなさい : Who Was That Lady?
1960年 サイコ : Psycho
1962年 影なき狙撃者 : The Manchurian Candidate
1963年 バイ・バイ・バーディー : Bye Bye Birdie
1966年 ゴールデン・キッド : Kid Rodelo
1966年 動く標的 : Harper
1966年 底抜け替え玉戦術 : Three on a Couch
1966年 殺しの逢びき : An American Dream
1967年 盗みのプロ部隊 : Ad ogni costo
1969年 海軍てんやわんや騒動記 : Hello Down There
1975年 刑事コロンボ : Columbo
1980年 ザ・フォッグ : The Fog
1998年 ハロウィンH20 : Halloween H20: 20 Years Later
[ 2019/08/28 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

マリリン・モンロー

(キャスト/女優)

『 マリリン・モンロー 』 Marilyn Monroe

生年月日 : 1926年06月01日
没年月日 : 1962年08月05日( 36 歳没)
出生地 : カリフォルニア州ロサンゼルス
死没地 : カリフォルニア州ロサンゼルス ブレントウッド
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 女優
ジャンル : 映画
活動期間 : 1947年~1962年
主な作品 :
『ナイアガラ』
『紳士は金髪がお好き』
『百万長者と結婚する方法』
『帰らざる河』
『ショウほど素敵な商売はない』
『七年目の浮気』
『バス停留所』
『お熱いのがお好き』
受賞 :
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1959年『お熱いのがお好き』

マリリン・モンロー

身長166.4cm、体重53.5kg。スリーサイズはB94 W61 H86。トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。フェラガモに作らせた靴のサイズは、24.5cm。ノルウェー人の血を引いているといわれるが、本当の髪の色はブロンドではなく褐色(ブルネット)であった。モンローというステージネームは彼女の母親の姓である。
第二次世界大戦末期の1945年の19歳の誕生日を迎えて間もなくのこと、工場で働いていた時に陸軍から取材に派遣された報道部員デビッド・コノバー一等兵に見出され、写真を撮られる。この写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機にハリウッドへの道をたどることになる。コノバーにそのネガを見せられた商業写真家のポッター・ヒューズにカバーガールになることをすすめられ、モンローは工場を辞めてハリウッドのモデルクラブ「ブルーブックス・モデルズ・エージェンシー」の専属モデルに応募した。モデルの基礎教程を終えたノーマの初仕事は、ロサンゼルス博覧会場でのイベントコンパニオンであった。
やがて新進の写真家アンドレ・ド・ディーンズと知り合い、モデルとしての才能を発見される。この年、二人で長い撮影旅行に出かけている。ド・ディーンズはマリリンがモンローになる前のノーマ・ジーンの初々しい姿をカメラに収めた。その後、髪をゴールデン・ブロンドに染めたセクシーなピンナップが売りものの雑誌に写真が掲載されるようになる。
女優になる[編集]
1946年、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し「マリリン・モンロー」という芸名で契約を結んだ。マリリンの名は1920年代のブロードウェイの美貌の舞台女優マリリン・ミラーに由来している。

主な出演作品 :
1948年 レディース・オブ・ザ・コーラス : Ladies of the Chorus
1949年 ラヴ・ハッピー : Love Happy
1950年 アスファルト・ジャングル : The Asphalt Jungle
1950年 イヴの総て : All About Eve
1951年 ふるさと物語 : Home Town Story
1952年 ノックは無用 : Don't Bother to Knock
1952年 人生模様 : O. Henry's Full House
1952年 モンキー・ビジネス : Monkey Business
1953年 ナイアガラ : Niagara
1953年 紳士は金髪がお好き : Gentlemen Prefer Blondes
1953年 百万長者と結婚する方法 : How to Marry a Millionaire
1954年 帰らざる河 : River of No Return
1954年 ショウほど素敵な商売はない : There's No Business Like Show Business
1955年 七年目の浮気 : The Seven Year Itch
1956年 バス停留所 : Bus Stop
1957年 王子と踊子 : The Prince and the Showgirl
1959年 お熱いのがお好き : Some Like It Hot
1960年 恋をしましょう : Let's Make Love
1961年 荒馬と女 : The Misfits
[ 2019/08/12 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

ジュディ・ガーランド

(キャスト/女優)

『 ジュディ・ガーランド 』 Judy Garland

生年月日 : 1922年06月10日
没年月日 : 1969年06月22日( 47 歳没)
出生地 : アメリカ合衆国 ミネソタ州
死没地 : イギリス ロンドン
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 女優・歌手
ジャンル : 映画・テレビドラマ・舞台
家族 娘 : ライザ・ミネリ
活動期間 : 1936年~1963年
受賞 :
アカデミー賞
子役賞
1939年『オズの魔法使』
グラミー賞
アルバム・オブ・ザ・イヤー
1962年『Judy at Carnegie Hall』
最優秀歌唱賞
1962年『Judy at Carnegie Hall』
特別賞
1997年 生涯功労賞
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1954年『スタア誕生』
セシル・B・デミル賞
1961年 生涯功労賞
主な作品 :
『オズの魔法使』
『スタア誕生』
『ニュールンベルグ裁判』



ミネソタ州出身。本名はフランシス・エセル・ガム(Frances Ethel Gumm)。父親がボードビリアン、母親がピアニストの家庭で3人姉妹の末っ子として生まれる。芸名の「ジュディ」は彼女が好きだった歌のタイトルから、「ガーランド」はあるボードビリアンが彼女たち姉妹を評して「ガーランド(花輪)のようだ」と言ったことから付けたと言われている。
1929年、2人の姉と共にガム・シスターズの一人としてデビュー。1935年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と専属契約。契約時、ディアナ・ダービンかジュディかどちらか一方と契約を結ぶことになっていた。社長のルイス・メイヤーはディアナと契約しろという意味で「デブの方(ジュディ)を追い出せ」とプロデューサーのアーサー・フリードに命じた。ところが、セックスをした相手に役や契約を回す「キャスティング・カウチ」で悪名高かったフリードは、当時13歳のジュディと性的関係をもっていたため、間違ったふりをして、ディアナではなくジュディと契約を結んだ。
契約後、MGMはかなり肥満気味の13歳のジュディに極度のダイエットを命じた。契約内容に「スリムでいること」が含まれていた。体質的に太りやすかった彼女は13歳にしてダイエット用の薬として当時のハリウッドのスタジオでは当たり前のように使用されていたダイエットピル(痩せ薬)で作用が弱めの覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになる。『オズの魔法使』を含む、すべてのMGMミュージカルでジュディは元気一杯で歌い踊っているように見えるが、ビリー・ホリデイがアヘンやコカインで、ジャニス・ジョプリンがヘロインで陶酔して歌っているのと同様に、実は覚醒剤の使用により「ハイ」の状態で歌っていた。

主な出演作品 :
1936年 フットボール・パレード : Pigskin Parade
1937年 踊る不夜城 : Broadway Melody of 1938
1938年 初恋合戦 : Love Finds Andy Hardy
1939年 オズの魔法使 : The Wizard of Oz
1939年 青春一座 : Babes in Arms
1940年 ストライク・アップ・ザ・パンド : Strike Up the Band
1941年 美人劇場 : Ziegfeld Girl
1941年 二人の青春 : Life Begins for Andy Hardy
1941年 ブロードウェイ : Babes on Broadway
1942年 フォーミー&マイガール : For Me and My Gal
1943年 ガール・クレイジー : Girl Crazy
1944年 若草の頃 : Meet Me in St. Louis
1945年 ジーグフェルド・フォーリーズ : Ziegfeld Follies
1946年 ハーヴェイ・ガールズ : The Harvey Girls
1946年 雲流るるはてに : Till the Clouds Roll By
1948年 踊る海賊 : The Pirate
1948年 イースター・パレード : Easter Parade
1949年 グッド・オールド・サマータイム : In the Good Old Summertime
1950年 サマーストック : Summer Stock
1954年 スタア誕生 : A Star Is Born
1961年 ニュールンベルグ裁判 : Judgment at Nuremberg
1963年 愛の奇跡 : A Child Is Waiting
1963年 愛と歌の日々 : I Could Go on Singing
[ 2019/05/08 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

ドリス・デイ

(キャスト/女優)

『 ドリス・デイ 』 Doris Day

生年月日 : 1922年04月03日
没年月日 : 2019年05月13日(97歳没)
出生地 : オハイオ州シンシナティ
国籍 : アメリカ合衆国
ジャンル : 歌手・映画女優
活動期間 : 1939年~1986年
主な作品 :
『カラミティ・ジェーン』
『知りすぎていた男』
『夜を楽しく』

ドリス・デイ

父はドイツ出身の音楽教師で、両親は彼女が10歳の時に離婚。ドリスの名はサイレント映画女優のドリス・ケニヨン(英語版)から名付けられた。幼い頃から歌や踊りが好きで、バレリーナを目指していたが、15歳の時に列車事故に遭い、激しい踊りができなくなりその夢を断念[2]。しかし歌の方は続け、18歳の時にジャズバンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加。バンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリー(後にレコードプロデューサーとなる)を出産するが、1942年、20歳の時に離婚。2年後、このバンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した『センチメンタル・ジャーニー』を歌い、大ヒットさせる。
1946年、24歳の時に2度目の結婚をするも、わずか8ヶ月で破局。離婚直後にワーナー・ブラザーズのオーディションを受け、同社と契約。1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューする。評判はよく1949年に2本、1950年に主題歌もヒットした『二人でお茶を』など3本、1951年には5本も出演するほどのど売れっ子になった。同年エージェントだったマーティン・メルチャーと結婚。また、1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ 』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。

主な出演作品 :
1948年 洋上のロマンス : Romance on the High Seas
1949年 夢はあなたに : My Dream Is Yours
1949年 情熱の狂想曲 : Young Man with a Horn
1950年 二人でお茶を : Tea for Two
1951年 目撃者 : Storm Warning
1951年 ブロードウェイの子守唄 : Lullaby of Broadway
1951年 ムーンライト・ベイ : On Moonlight Bay
1952年 四月のパリ : April in Paris
1953年 銀色の月明かりの下で : By the Light of the Silvery Moon
1953年 カラミティ・ジェーン : Calamity Jane
1954年 ヤング・アット・ハート : Young at Heart
1955年 情欲の悪魔 : Love Me or Leave Me
1956年 知りすぎていた男 : The Man Who Knew Too Much
1956年 影なき恐怖 : Julie
1957年 パジャマゲーム : The Pajama Game
1958年 先生のお気にいり : Teacher's Pet
1958年 愛のトンネル : The Tunnel of Love
1959年 ハッピー・ロブスター : It Happened to Jane
1959年 夜を楽しく : Pillow Talk
1960年 ママは腕まくり : Please Don't Eat the Daisies
1960年 誰かが狙っている : Midnight Lace
1961年 恋人よ帰れ : Lover Come Back
1962年 ミンクの手ざわり : That Touch of Mink
1962年 ジャンボ : Billy Rose's Jumbo
1963年 スリルのすべて : The Thrill of It All
1963年 女房は生きていた : Move Over, Darling
1964年 花は贈らないで! : Send Me No Flowers
1965年 ただいま熱愛中 : Do Not Disturb
1966年 マーメイド作戦 : The Glass Bottom Boat
1967年 おしゃれスパイ危機連発 : Caprice
1968年 ニューヨークの大停電 : Where Were You When the Lights Went Out?
[ 2019/04/22 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)

モーリン・オハラ

(キャスト/女優)

『 モーリン・オハラ 』 Maureen O'Hara

生年月日 : 1920年08月17日
没年月日 : 2015年10月24日( 95 歳没)
出生地 : アイルランド・ダブリン
国籍 : アイルランド
    アメリカ合衆国
職業 : 女優・歌手
活動期間 : 1938年~2000年
赤毛と緑の瞳が有名なアイルランドの映画女優、歌手である。
ジョン・フォード監督作品やジョン・ウェインの西部劇に多く出演した。

モーリン・オハラ


主な出演作品 :
1939年 ノートルダムの傴僂男 : The Hunchback of Notre Dame
1940年 恋に踊る : Dance, Girl, Dance
1941年 わが谷は緑なりき : How Green Was My Valley
1942年 トリポリ魂 海兵隊よ永遠なれ : To the Shores of Tripoli
1943年 自由への闘い : This Land Is Mine
1943年 黒い足音 : The Fallen Sparrow
1944年 西部の王者 : Buffalo Bill
1946年 センチメンタル・ジャーニー : Sentimental Journey
1947年 船乗りシンバッドの冒険 : Sinbad the Sailor
1947年 三十四丁目の奇跡 : Miracle on 34th Street
1948年 愉快な家族 : Sitting Pretty
1949年 女の秘密 : A Woman's Secret
1949年 バグダッド : Bagdad
1950年 コマンチ族の怒り : Comanche Territory
1950年 大城塞 : Tripoli
1950年 リオ・グランデの砦 : Rio Grande
1951年 激闘の大砂漠 : Flame of Araby
1952年 静かなる男 : The Quiet Man
1953年 牧場荒し : The Redhead from Wyoming
1954年 マラガ : Malaga
1955年 灼熱の勇者 : The Magnificent Matador
1956年 荒鷲の翼 : The Wings of Eagles
1959年 ハバナの男 : Our Man in Havana
1961年 荒野のガンマン : The Deadly Companions
1961年 罠にかかったパパとママ : The Parent Trap
1963年 スペンサーの山 : Spencer's Mountain
1963年 マクリントック : McLintock!
1965年 湖愁 : The Battle of the Villa Fiorita
1966年 スタンピード : The Rare Breed
1970年 おかしなおかしなおかしな親父 : How Do I Love Thee?
1971年 100万ドルの血斗 : Big Jake
1991年 オンリー・ザ・ロンリー : Only the Lonely
1995年 クリスマス・ボックス : The Christmas Box
[ 2019/03/21 15:00 ] 女優 | TB(-) | CM(-)
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