蒼色の月明かりの下で

心に残る昔の名画。

ロバート・ワイズ

(スタッフ/監督)

『 ロバート・ワイズ 』 Robert Wise

生年月日 : 1914年09月10日
没年月日 : 2005年09月14日( 91 歳没)
出生地 : インディアナ州ウィンチェスター
死没地 : カリフォルニア州ウェストウッド
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 映画監督、映画編集
受賞 :
アカデミー賞
作品賞
1961年『ウエスト・サイド物語』
1965年『サウンド・オブ・ミュージック』
監督賞
1961年『ウエスト・サイド物語』
1965年『サウンド・オブ・ミュージック』
アービング・G・タルバーグ賞 (1966年)
カンヌ国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
1949年『罠』
放送映画批評家協会賞
生涯功労賞 (1997年)
主な作品 :
『市民ケーン』
『ウエスト・サイド物語』
『サウンド・オブ・ミュージック』

ロバート・ワイズ

映画界におけるキャリアをRKO社の音響効果担当としてスタートした。数年間のキャリアの後、1941年度の『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ監督・主演)でアカデミー編集賞にノミネートされる。1944年のサイコホラー映画『キャット・ピープルの呪い』が監督デビュー作であり、後世カルト映画として高く評価されているサイコホラー『キャット・ピープル』(1942年、ジャック・ターナー監督)の続編であった。初期のワイズ監督作品は当時のハリウッドの配給システムにおけるB級の作品がほとんどであるが、手堅い手腕を見せる一方で、意欲的なアイデアがしばしば盛り込まれた。1949年に彼が監督したボクシング映画『罠』(ロバート・ライアン主演)は、わずか1時間強の作品ながら、劇中の時間と実際の上映時間を同一進行させる構成で、八百長試合に絡む苛烈なサスペンスを描いた。1950年代以降も、ミュージカル、サスペンス、SFなど様々なジャンルを手がけ、SF作品『地球の静止する日』、メロドラマ『"So Big』などの監督を勤め、スーザン・ヘイワードがアカデミー主演女優賞を獲得したサスペンス映画『私は死にたくない』では、自らもアカデミー監督賞にノミネートされた。961年、ジェローム・ロビンスと共同して監督・制作を務めたミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』でアカデミー監督賞を受賞、1965年にも『サウンド・オブ・ミュージック』で2度目の監督賞を獲得した。1970年代の代表作として、『アンドロメダ…』、『ヒンデンブルグ』、『オードリー・ローズ』、『スタートレック(劇場版第1作)』がある。

主な編集作品 :
1939年 ノートルダムの傴僂男 : The Hunchback of Notre Dame
1941年 市民ケーン : Citizen Kane
主な監督・制作作品 :
1944年 キャット・ピープルの呪い : The Curse of the Cat People
1944年 フィフィ嬢 : Mademoiselle Fifi
1945年 死体を売る男 : The Body Snatcher
1946年 恐怖の島 : A Game of Death
1947年 生まれながらの殺し屋 : Born to Kill
1948年 月下の銃声 : Blood on the Moon
1949年 罠 : The Set-Up
1950年 三人の秘密 : Three Secrets
1950年 西部の二国旗 : Two Flags West
1951年 地球の静止する日 : The Day the Earth Stood Still
1952年 捕らわれの街 : The Captive City
1953年 砂漠の鼡 : The Desert Rats
1954年 重役室 : Executive Suite
1955年 トロイのヘレン : Helen of Troy
1956年 傷だらけの栄光 : Somebody Up There Likes Me
1956年 悪人への貢物 : Tribute to a Bad Man
1958年 深く静かに潜航せよ : Run Silent Run Deep
1958年 私は死にたくない : I Want to Live!
1959年 拳銃の報酬 : Odds Against Tomorrow
1961年 ウエスト・サイド物語 : West Side Story
1962年 すれちがいの街角 : Two for the Seesaw
1963年 たたり : The Haunting
1965年 サウンド・オブ・ミュージック : The Sound of Music
1966年 砲艦サンパブロ : The Sand Pebbles
1968年 スター! : Star!
1971年 アンドロメダ… : The Andromeda Strain
1973年 ふたり : Two People
1975年 ヒンデンブルグ : The Hindenburg
1977年 オードリー・ローズ : Audrey Rose
1979年 スタートレック : Star Trek: The Motion Picture
1987年 ウィズダム 夢のかけら : Wisdom
1989年 ルーフ・トップ : Rooftops
[ 2018/12/17 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

エリア・カザン

(スタッフ/監督)

『 エリア・カザン 』 Elia Kazan

生年月日 : 1909年09月07日
没年月日 : 2003年09月28日( 94 歳没)
出生地 : イスタンブル
死没地 : ニューヨーク
職業 : 映画監督
受賞 :
アカデミー賞
監督賞
1947年『紳士協定』
1954年『波止場』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1947年『紳士協定』『影なき殺人』
1951年『欲望という名の電車』
1954年『波止場』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1947年『紳士協定』
1954年『波止場』
1956年『ベビイ・ドール』
1963年『アメリカ アメリカ』
主な作品 :
『紳士協定』
『波止場』
『欲望という名の電車』
『エデンの東』
『草原の輝き』
『アメリカ アメリカ』

エリア・カザン

エリア・カザンは当時オスマン帝国の首都であったイスタンブルのギリシア人の家庭に生まれた。1910年代にギリシャがオスマン帝国と戦争したために、両親はアメリカ移住し、ニューヨークで絨毯の輸入販売を手がけた。カザンは演出家を目指し、イェール大学などで演劇を学んだ。1933年、ニューヨークの劇団「グループ・シアター」(1931年創設、1941年解散)に入団。俳優として舞台に立った。初舞台作品は、クリフォード・オデッツの『レフティを待ちながら』(1935年)。この頃カザンは、米国の共産党に短期間入党していた。グループ・シアターは、モスクワ芸術座の演出家、コンスタンチン・スタニスラフスキーの構築した演技理論「スタニスラフスキー・システム」を俳優指導法として採用していた。この事が、後の「アクターズ・スタジオ」創設、そして「メソッド」の誕生に繋がる。1942年、ソーントン・ワイルダーの戯曲『危機一髪』(The Skin of Our Teeth)を演出。同作品はピューリッツァー賞を受賞し、カザンは演出家として頭角を現した。1944年、映画『ブルックリン横丁』を監督。ハリウッド進出の第一作目となる。1947年、『紳士協定』を監督。ユダヤ人問題を取り上げたハリウッド最初の映画として話題を呼び、アカデミー賞で作品賞、監督賞、助演女優賞を受賞した。この成功で、エリア・カザンはハリウッド映画界において確固たる地位を築いたと言える。同年、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』を演出し、ニューヨークのバリモア劇場にて初演。主演はジェシカ・タンディ、マーロン・ブランド。同作品は大成功を収め、ピューリッツァー賞、ニューヨーク劇評家サークル賞、ドナルドソン賞などの演劇賞を受賞した。同年、カザンは、演出家のリー・ストラスバーグなど先述のグループ・シアターの同窓生らと共に、俳優養成のための学校「アクターズ・スタジオ」を創設。アクターズ・スタジオは、スタニスラフスキー・システムに基礎を置いた演技法「メソッド」を教授し、マーロン・ブランド、ジェームズ・ディーンなどの他、名優と評価される俳優を数多く生みだしていった。メソッドを習得した俳優たちを用いたエリア・カザンの監督映画は、ハリウッドに新風を送り込み、映画俳優の演技法に多大な影響を与えていった。

主な監督作品 :
1940年 栄光の都 : City for Conquest
1945年 ブルックリン横丁 : A Tree Grows in Brooklin
1947年 大草原 : The Sea of Grass
1947年 紳士協定 : Gentleman's Agreement
1947年 影なき殺人 : Boomerang!
1949年 ピンキー : Pinky
1950年 暗黒の恐怖 : Panic in The Streets
1951年 欲望という名の電車 : A Streetcar Named Desire
1952年 革命児サパタ : Viva Zapata!
1953年 綱渡りの男 : Man on A Tightrope
1954年 波止場 : On The Waterfront
1954年 エデンの東 : East of Eden
1956年 ベビイ・ドール : Baby doll
1956年 群衆の中の一つの顔 : A Face in the Crowd
1960年 荒れ狂う河 : Wild River
1961年 草原の輝き : Splendor in the Grass
1963年 アメリカ アメリカ : America. America
1969年 アレンジメント/愛の旋律 : Arrangement
1972年 突然の訪問者 : The Visitors
1976年 ラスト・タイクーン : The Last Tycoon
[ 2018/10/30 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

デヴィッド・リーン

(スタッフ/監督)

『 デヴィッド・リーン 』 David Lean

生年月日 : 1908年03月25日
没年月日 : 1991年04月16日( 83 歳没)
出生地 : サリー州クロイドン
死没地 : ロンドン
国籍 : イギリス
職業 : 映画監督
主な作品 :
『戦場にかける橋』
『アラビアのロレンス』
『ドクトル・ジバゴ』
受賞 :
アカデミー賞
監督賞
1957年『戦場にかける橋』
1962年『アラビアのロレンス』
カンヌ国際映画祭
グランプリ
1946年『逢びき』
批評家賞
1946年『逢びき』
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1954年『ホブスンの婿選び』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1955年『旅情』
1957年『戦場にかける橋』
1984年『インドへの道』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1957年『戦場にかける橋』
1962年『アラビアのロレンス』
1965年『ドクトル・ジバゴ』
外国語映画賞
1984年『インドへの道』

デヴィッド・リーン

ロンドン郊外クロイドン生まれ。20歳の時に助監督として、映画界入り。カメラマン助手、編集の仕事を経て、1942年に監督デビュー。1940年代から1950年代にかけてライバルであるキャロル・リードと共にイギリス映画界を牽引する。初期は主に劇作家ノエル・カワードや文豪チャールズ・ディケンズの作品を手がけた。『アラビアのロレンス』と『戦場にかける橋』でアカデミー監督賞を、『逢びき』でカンヌ国際映画祭グランプリを、『ホブスンの婿選び』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞している。知名度の割には寡作ではあるが、格調ある文学的な作品を作り続け、イギリスを代表する巨匠である。

主な監督作品 :
1945年 陽気な幽霊 : Blithe Spirit
1945年 逢びき : Brief Encounter
1946年 大いなる遺産 : Great Expectations
1948年 オリヴァ・ツイスト : Oliver Twist
1952年 超音ジェット機 : The Sound Barrier
1954年 ホブスンの婿選び : Hobson's Choice
1955年 旅情 : Summertime
1957年 戦場にかける橋 : The Bridge on the River Kwai
1962年 アラビアのロレンス : Lawrence of Arabia
1965年 ドクトル・ジバゴ : Doctor Zhivago
1970年 ライアンの娘 : Ryan's Daughter
1984年 インドへの道 : A Passage to India
[ 2018/09/26 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

フレッド・ジンネマン

(スタッフ/監督)

『 フレッド・ジンネマン 』 Fred Zinnemann

生年月日 : 1907年04月29日
没年月日 : 1997年03月14日( 89 歳没)
出生地 : オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
死没地 : イギリス ロンドン
職業 : 映画監督
受賞 :
アカデミー賞
作品賞
1966年『わが命つきるとも』
監督賞
1953年『地上より永遠に』
1966年『わが命つきるとも』
短編ドキュメンタリー映画賞
1951年『Benjy』
ニューヨーク映画批評家協会賞
作品賞
1952年『真昼の決闘』
1953年『地上より永遠に』
1966年『わが命つきるとも』
監督賞
1952年『真昼の決闘』
1953年『地上より永遠に』
1959年『尼僧物語』
1966年『わが命つきるとも』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1953年『地上より永遠に』
1966年『わが命つきるとも』
主な作品 :
『山河遥かなり 』
『真昼の決闘』
『地上より永遠に』
『尼僧物語』
『わが命つきるとも』

フレッド・ジンネマン

1941年にB級映画『Kid Glove Killer』を監督。これが初の(一般)長編映画で、これがジンネマンが見習いから職人になった映画監督としてのスタートになる。同じくB級映画の『Eyes in the Night』(1942年)を監督した後、1943年、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーでナチス・ドイツからの逃亡者を描いたAピクチャー『The Seventh Cross』(1943年)を、主役にスペンサー・トレイシーを迎えて監督するが、撮影後フロントと衝突したジンネマンは再びB級映画にまわされる。撮りたくない映画を2本撮るとその後は来る脚本を次々と断り、結局そのことが原因でMGMから停職処分を受けることになる。戦後、ヨーロッパから上陸した映画に対し、センチメンタリズムにあふれたハリウッド映画の中での仕事に、ジンネマンは疑問を感じる。その頃、ジンネマンにヨーロッパの戦争直後を舞台にした瓦礫の中の飢えた孤児を描く映画の仕事が来る。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーも暫く厄介払いができると考え、『山河遥かなり』(1947年)の製作が始まる。完成した作品はアカデミー賞にノミネートされる(いくつかの賞は受賞)など評価は得たもののヒットまでには至らなかった。アメリカに渡って19年のジンネマンだが、映画の題材やメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの宣伝効果もあり、ヨーロッパから輸入した監督という印象を与えた。1953年の『地上より永遠に』と1966年の『わが命つきるとも』でアカデミー監督賞を受賞している。

主な監督作品 :
1944年 第七の十字架 : The Seventh Cross
1947年 不思議な少年 : My Brother Talks to Horses
1948年 山河遥かなり : The Search
1948年 暴力行為 : Act of Violence
1950年 男たち : The Men
1952年 真昼の決闘 : High Noon
1953年 地上より永遠に : From Here to Eternity
1955年 オクラホマ! : Oklahoma!
1957年 夜を逃れて : A Hatful of Rain
1959年 尼僧物語 : The Nun's Story
1960年 サンダウナーズ : The Sundowners
1964年 日曜日には鼠を殺せ : Behold a Pale Horse
1966年 わが命つきるとも : A Man for All Seasons
1973年 ジャッカルの日 : The Day of the Jackal
1977年 ジュリア : Julia
1982年 氷壁の女 : Five Days One Summer
[ 2018/07/24 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

ジョン・ヒューストン

(スタッフ/監督)

『 ジョン・ヒューストン 』 John Huston

生年月日 : 1906年08月05日
没年月日 : 1987年08月28日( 81 歳没)
出生地 : ミズーリ州
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 映画監督・脚本家・俳優
受賞 :
アカデミー賞
監督賞、脚色賞
1948年『黄金』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1948年『黄金』
1985年『女と男の名誉』
助演男優賞
1963年『枢機卿』

ジョン・ヒューストン

父親は俳優のウォルター・ヒューストン。ミズーリ州にて俳優一家に生まれ、3歳の時から舞台に立つ。ティーンエイジャーの頃はボクシングに熱中し、その後各地を放浪して様々な職業に就いた。後にハリウッドに落ち着いて脚本を書くようになり、『モルグ街の殺人』や『黒蘭の女』などの脚本を手がけて実績を積んだ後、1941年にハンフリー・ボガート主演の『マルタの鷹』で監督としてデビューした。ボガートとは生涯親交が深く、多くの主演作品を撮っている。男性的で骨太なタッチの作品が多く、また、目的を持って行動する主人公たちが徒労の果てに挫折していくというストーリーをしばしば取り上げることも特徴である。その典型である1948年の作品『黄金』はアカデミー監督賞と脚色賞を受賞した。赤狩りの時代にはアメリカを嫌ってメキシコに移住した。このためアメリカ国外で企画・製作した作品も多い。

主な監督作品 :
1941年 マルタの鷹 : The Maltese Falcon
1942年 パナマの死角 : Across the Pacific
1948年 黄金 : The Treasure of the Sierra Madre
1948年 キー・ラーゴ : Key Largo
1950年 アスファルト・ジャングル : The Asphalt Jungle
1951年 アフリカの女王 : The African Queen
1952年 赤い風車 : Moulin Rouge
1953年 悪魔をやっつけろ : Beat the Devil
1956年 白鯨 : Moby Dick
1960年 許されざる者 : The Unforgiven
1961年 荒馬と女 : The Misfits
1964年 イグアナの夜 : The Night of the Iguana
1966年 天地創造 : The Bible
1967年 007 カジノロワイヤル : Casino Royale
1972年 ロイ・ビーン : The Life and Times of Judge Roy Bean
1972年 マッキントッシュの男 : The MacKintosh Man
1975年 王になろうとした男 : The Man Who Would Be King
1980年 勝利への脱出 : Escape to Victory
1982年 アニー : Annie
1984年 火山のもとで : Under the Volcano
1985年 女と男の名誉 : Prizzi's Honor
1987年 ザ・デッド/「ダブリン市民」より : The Dead
[ 2018/07/08 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

ビリー・ワイルダー

(スタッフ/監督)

『 ビリー・ワイルダー 』 Billy Wilder

生年月日 : 1906年06月22日
没年月日 : 2002年03月27日( 95 歳没)
出生地 : オーストリア=ハンガリー帝国 ズーハ
国籍 : オーストリア=ハンガリー帝国
   : オーストリア
   : アメリカ合衆国
職業 : 脚本家・映画監督・映画プロデューサー
活動期間 : 1929年~1981年
受賞 :
アカデミー賞
監督賞
1945年『失われた週末』
1960年『アパートの鍵貸します』
脚色賞
1945年『失われた週末』
脚本賞
1950年『サンセット大通り』
1960年『アパートの鍵貸します』
アービング・G・タルバーグ賞
1987年 映画界への貢献に対して
カンヌ国際映画祭
グランプリ
1945年『失われた週末』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1945年『失われた週末』
1960年『アパートの鍵貸します』
脚本賞
1960年『アパートの鍵貸します』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
生涯功労賞
1994年
ゴールデングローブ賞
監督賞
1945年『失われた週末』
1950年『サンセット大通り』
脚本賞
1954年『麗しのサブリナ』

ビリー・ワイルダー

映画監督に転向したきっかけは『ホールド・バック・ザ・ドーン』で以前からワイルダーとは険悪な仲だったミッチェル・ライゼン監督が主役のシャルル・ボワイエの意見で勝手に脚本を変更したことであった。これに憤慨したワイルダーは自分の脚本は自分で守らなければと思い立ち、またその当時、同じパラマウント社の脚本家だったプレストン・スタージェスが監督に転身して見事に成功していることに影響を受け、ワイルダーは1942年、ハリウッドの映画監督としてデビュー。フランスで『悪い種子』で監督デビューしてから8年後のことだった。
記念すべきハリウッド監督デビュー作の『少佐と少女』はデビュー作ながら、当時の大スターでアカデミー主演女優賞を受賞したばかりのジンジャー・ロジャースを幸運にも起用でき、まずまずの成功作となる。これ以降、脚本はブラケットとの共同で、監督はワイルダーが、製作をブラケットが担当する形で次々と作品を世に送り出す。続いてB級戦争アクション映画『熱砂の秘密』を監督、この作品の出演を機に憧れの映画監督のひとりだったエリッヒ・フォン・シュトロハイムと出会う。
そして1944年、ワイルダーの最初の大ヒット作品でフィルム・ノワールの古典的名作とされる『深夜の告白』を監督する。本作は美人の妻が夫を保険金を掛けて愛人と共謀して殺害するサスペンス映画の先駆けとなり、興業的にヒットしただけではなくワイルダーもアカデミー監督賞と脚本賞にノミネートされる。ちなみに本作の原作に関して、ブラケットは気に入らず、仕方なくワイルダーひとりで映画化することになり、共同脚本にはハードボイルドな作風で人気があった作家のレイモンド・チャンドラーが担当することになった。
1945年、『失われた週末』はアルコール依存症の恐怖を描いた最初のドラマで、当時としてはその斬新な内容から試写会は失敗し、意気消沈したワイルダーは軍の要請から、ドイツで映画に関する規則や規定作りの仕事に携わるためハリウッドを離れる。現地では軍務について、ナチスの強制収容所の様子を記録したドキュメンタリー映画の製作も手掛ける。帰国後、失敗作と思っていた『失われた週末』がアカデミー作品賞をはじめ、ワイルダー自身もアカデミー監督賞とアカデミー脚本賞を受賞、ワイルダーとしては初の受賞作となる。

主な監督作品 :
1933年 悪い種子 : Mauvaise Graine
1942年 少佐と少女 : The Major and the Minor
1943年 熱砂の秘密 : Five Graves to Cairo
1944年 深夜の告白 : Double Indemnity
1945年 失われた週末 : The Lost Weekend
1948年 皇帝円舞曲 : The Emperor Waltz
1948年 異国の出来事 : A Foreign Affair
1950年 サンセット大通り : Sunset Blvd.
1951年 地獄の英雄 : Ace in the Hole
1953年 第十七捕虜収容所 : Stalag 17
1954年 麗しのサブリナ : Sabrina
1955年 七年目の浮気 : The Seven Year Itch
1957年 情婦 : Witness for the Prosecution
1957年 昼下りの情事 : Love in the Afternoon
1957年 翼よ! あれが巴里の灯だ : The Spirit of St. Louis
1959年 お熱いのがお好き : Some Like It Hot
1960年 アパートの鍵貸します : The Apartment
1961年 ワン・ツー・スリー : One, Two, Three
1963年 あなただけ今晩は : Irma la Douce
1964年 ねぇ!キスしてよ : Kiss Me, Stupid
1966年 恋人よ帰れ!我が胸に : The Fortune Cookie
1970年 シャーロック・ホームズの冒険 : The Private Life of Sherlock Holmes
1972年 お熱い夜をあなたに : Avanti!
1974年 フロント・ページ : The Front Page
1979年 悲愁 : Fedora
1981年 バディ・バディ : Buddy Buddy
[ 2018/06/22 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

ジョージ・スティーヴンス

(スタッフ/監督)

『 ジョージ・スティーヴンス 』 George Stevens

生年月日 : 1904年12月08日
没年月日 : 1975年03月08日( 70 歳没)
出生地 : カリフォルニア州オークランド
死没地 : カリフォルニア州ランカスター
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 映画監督、映画プロデューサー、脚本家、撮影監督
受賞 :
アカデミー賞
アカデミー監督賞
1951年『陽のあたる場所』
1956年『ジャイアンツ』
アービング・G・タルバーグ賞
1953年 映画界への貢献に対して
主な作品 :
『陽のあたる場所』
『シェーン』
『ジャイアンツ』
『アンネの日記』

ジョージ・スティーヴンス

戦前は娯楽映画を中心に撮ったが、第2次世界大戦中にアメリカ陸軍の映画斑に所属し戦争を実体験したことから、戦後は人間の内面を描いた作風に変わる。1948年の『ママの想い出』を皮切りに、1951年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アメリカの悲劇』のリメイク『陽のあたる場所』でアメリカの上流社会を夢見る若者の悲劇を描き、見事アカデミー監督賞を受賞。続いて1953年、西部劇の名作『シェーン』で少年の視点を通して西部に生きる開拓者とガンマンの交流を描き出した。
そして1955年、壮大な家族ドラマでジェームズ・ディーンの遺作となった『ジャイアンツ』でその名声を決定的なものにした。本作では2度目のアカデミー監督賞を受賞、アメリカの家庭劇を中心に描いたことから、ドメスティック・リアリズムの巨匠と称された。映画作りに関しては常に完璧主義者で、その作風は一つ一つのシーンやショットに画面の美しさと伏線的な効果を求めた為に、納得するまで何度もテイクを重ねることになり、ある時にはワン・シーンを撮るのに数ヶ月かかることがあったという。その為、会社上層部とは常に険悪な仲だったという。

主な監督作品 :
1935年 乙女よ嘆くな : Alice Adams
1936年 有頂天時代 : Swing Time
1937年 踊る騎士 : A Damsel in Distress
1937年 偽装の女 : Quality Street
1938年 モーガン先生のロマンス : Vivacious Lady
1939年 ガンガ・ディン : Gunga Din
1940年 病院の一夜 : Virgil in the Night
1941年 愛のアルバム : Penny Serenade
1942年 女性No.1 : Woman of the Year
1942年 希望の降る街 : The Talk of the Town
1948年 ママの想い出 : I Remember Mama
1951年 陽のあたる場所 : A Place in the Sun
1953年 シェーン : Shane
1956年 ジャイアンツ : Giant
1959年 アンネの日記 : The Diary of Anne Frank
1965年 偉大な生涯の物語 : The Greatest Story Ever Told
1970年 この愛にすべてを : The Only Game in Town
[ 2018/05/05 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

ウィリアム・ワイラー

(スタッフ/監督)

『 ウィリアム・ワイラー 』 William Wyler

生年月日 : 1902年07月01日
没年月日 : 1981年07月27日( 79 歳没)
出生地 : ドイツ帝国ミュールハウゼン
国籍 : アメリカ合衆国
職業 : 映画監督
受賞 :
アカデミー賞
監督賞
1942年『ミニヴァー夫人』
1946年『我等の生涯の最良の年』
1959年『ベン・ハー』
アービング・G・タルバーグ賞
1965年 映画界への貢献に対して
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1957年『友情ある説得』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1959年『ベン・ハー』
主な作品 :
『我等の生涯の最良の年』
『ローマの休日』
『必死の逃亡者』
『大いなる西部』
『ベン・ハー』

ウィリアム・ワイラー

アカデミー監督賞を3回受賞、ノミネート回数は12回に上るという偉大な記録は未だに破られていない。
1920年、18歳で渡米、まずユニヴァーサルのニューヨーク本社で雑用係として働く。その後、国際宣伝部を経てハリウッドに移り、オフィスの雑用係、撮影所の小道具係、配役係、助監督と着実に製作現場での経験を積んで立場を上げていく。1925年(1926年という説も)に映画監督に昇進し、短編の西部劇でデビュー。
『恋のからくり』や『砂漠の生霊』などの作品が評価され、入社以来つきまとっていた“社長のコネで入った男”のイメージを見事に払拭し、1930年代にはユニヴァーサルの主要監督の一人になる。1934年に映画に出演したマーガレット・サラヴァンと結婚するが、2年後に離婚。1936年にユニヴァーサルからプロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンの独立プロダクションに移籍、1936年に『孔雀夫人』を発表し、第9回アカデミー賞では作品、監督賞を含む7部門にノミネートされ、室内装置賞を受賞して評価されたものの、興行的には振るわなかった。しかし、1937年に『デッドエンド』、1939年に『嵐ヶ丘』、1940年に『偽りの花園』と次々に文芸映画を発表、いずれも批評家から絶賛され興行的にも大成功する。1942年に戦意高揚映画『ミニヴァー夫人』がアカデミー作品賞と監督賞を含む6部門を獲得する。1942年から終戦まではアメリカ空軍少佐として第二次世界大戦に参戦、その合間に製作していたドキュメンタリー映画『サンダーボルト』の撮影中、風圧と爆音で聴覚神経を傷めてしまい、右耳の聴力を失う不幸に遭った。しかし映画づくりへの意欲は衰えることなく、戦後は早くも復員兵を扱った社会派ドラマ『我等の生涯の最良の年』を発表、再びアカデミー作品賞・監督賞をはじめ今度は7部門を獲得する。以降は得意の文芸映画『女相続人』や『黄昏』をはじめ、刑事ドラマ『探偵物語』、今日も愛され続けているラヴストーリーの名作『ローマの休日』、サスペンス・スリラー『必死の逃亡者』、ヒューマン・ドラマ『友情ある説得』、西部劇『大いなる西部』と傑作を連発する。1950年前後にハリウッドを吹き荒れた赤狩り(マッカーシズム)に最後まで抵抗している。裁判官に「あなたは共産主義を支持しているか、もしくは関係があるか」と問われた際に、「その言葉をそのままあなたに返そう。『あなたは共産主義を支持しているか、もしくは関係があるか』あなたが答える義務がないのなら、私が答えるのを拒否してもいいはずだ」と抗議したと言われている。

主な監督作品 :
1936年 孔雀夫人 : Dodsworth
1936年 大自然の凱歌 : Come and Get It
1937年 デッドエンド : Dead End
1938年 黒蘭の女 : Jezebel
1939年 嵐ケ丘 : Wuthering Heights
1940年 西部の男 : The Westerner
1940年 月光の女 : The Letter
1941年 偽りの花園 : The Little Foxes
1942年 ミニヴァー夫人 : Mrs. Miniver
1946年 我等の生涯の最良の年 : The Best Years of Our Lives
1949年 女相続人 : The Heiress
1951年 探偵物語 : Detective Story
1952年 黄昏 : Carrie
1953年 ローマの休日 : Roman Holiday
1955年 必死の逃亡者 : The Desperate Hours
1956年 友情ある説得 : Friendly Persuasion
1958年 大いなる西部 : The Big Country
1959年 ベン・ハー : Ben-Hur
1961年 噂の二人 : The Children's Hour
1965年 コレクター : The Collector
1966年 おしゃれ泥棒 : How to Steal a Million
1968年 ファニー・ガール : Funny Girl
1970年 L・B・ジョーンズの解放 : The Liberation of L.B. Jon
[ 2018/03/18 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

アルフレッド・ヒッチコック

(スタッフ/監督)

『 アルフレッド・ヒッチコック 』 Alfred Hitchcock

生年月日 : 1899年08月13日
没年月日 : 1980年04月29日( 80 歳没)
出生地 : イングランド・ロンドン
死没地 : アメリカ合衆国ロサンゼルス市 
国籍 : イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国
職業 : 映画監督・映画プロデューサー
活動期間 : 1921年~1976年
受賞 :
アカデミー賞
受賞
1967年 アーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)
ノミネート
1941年 アカデミー監督賞:『レベッカ』
1945年 アカデミー監督賞:『救命艇』
1946年 アカデミー監督賞:『白い恐怖』
1955年 アカデミー監督賞:『裏窓』
1961年 アカデミー監督賞:『サイコ』

ゴールデングローブ賞
受賞
1970年 セシル・B・デミル賞(功労賞)
ノミネート
1973年 監督賞:『フレンジー』
主な作品 :
『サイコ』
『めまい』
『知りすぎていた男』
『鳥』

アルフレッド・ヒッチコック

1940年にヒッチコックはアメリカでの初作品『レベッカ』を制作する。同作の企画はイギリスで行われ、原作もイギリスの作家ダフネ・デュ・モーリアによるものであった。作品はジョーン・フォンテイン演じるヒロインが後妻として入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、1940年のアカデミー最優秀作品賞を受賞した。
ヒッチコックのユーモアはアメリカでの作品群でも発揮され、作風はサスペンスをトレードマークとしていた。セルズニックは長年金銭問題に悩まされており、より大きな映画会社にしばしばヒッチコックを貸し出した。
ヒッチコックの1940年代の作品は非常に多様であった。それはロマンティック・コメディの『スミス夫妻』(1941年)から暗いサスペンス(フィルム・ノワール)の『疑惑の影』(1943年)まで多種に及んだ。
1950年代は、ヒッチコックの黄金時代と言える。さまざまな円熟期の作品が量産された。ヒッチコックは1956年にアメリカの市民権を取得した。
『鳥』(1963年)までは精彩を放っていたが、『マーニー』(1964年)以降は凡庸な作品が目立つようになった。これは『マーニー』の撮影中にティッピ・ヘドレンに関係を迫ったものの断られたことが原因ではないかという説もある。あるいは、『ハリーの災難』以来バーナード・ハーマンが音楽を担当してきたが、『引き裂かれたカーテン』の音楽を巡って対立し、結果ハーマンをこの作品から降板させ、以後は袂を分かっていたことも影響しているのではないかともいわれる。高齢による衰えとの説もあるが、イギリスを舞台に撮影した最後から2番目の作品『フレンジー』(1972年)ではキレのあるサスペンス演出を見せ、ヒッチコック復活を印象付けた。

主な監督作品 :
「イギリス時代」は省略
「アメリカ時代」から
1940年 レベッカ : Rebecca
1940年 海外特派員 : Foreign Correspondent
1941年 スミス夫妻 : Mr. & Mrs. Smith
1941年 断崖 : Suspicion
1942年 逃走迷路 : Saboteur
1943年 疑惑の影 : Shadow of a Doubt
1943年 救命艇 : Lifeboat
1944年 闇の逃避行 : Bon Voyage
1944年 マダガスカルの冒険 : Aventure Malgache
1945年 白い恐怖 : Spellbound
1946年 汚名 : Notorious
1947年 パラダイン夫人の恋 : The Paradine Case
1948年 ロープ : Rope
1949年 山羊座のもとに : Under Capricorn
1950年 舞台恐怖症 : Stage Fright
1951年 見知らぬ乗客 : Strangers on a Train
1953年 私は告白する : I Confess
1954年 ダイヤルMを廻せ! : Dial M for Murder
1954年 裏窓 : Rear Window
1955年 泥棒成金 : To Catch a Thief
1955年 ハリーの災難 : The Trouble with Harry
1956年 知りすぎていた男 : The Man Who Knew Too Much
1956年 間違えられた男 : The Wrong Man
1958年 めまい : Vertigo
1959年 北北西に進路を取れ : North by Northwest
1960年 サイコ : Psycho
1963年 鳥 : The Birds
1964年 マーニー : Marnie
1966年 引き裂かれたカーテン : Torn Curtain
1969年 トパーズ : Topaz
1972年 フレンジー : Frenzy
1976年 ファミリー・プロット : Family Plot
[ 2018/01/29 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(-)

ハワード・ホークス

(スタッフ/監督)

『 ハワード・ホークス 』 Howard Hawks

生年月日 : 1896年05月30日
没年月日 : 1977年12月26日( 81 歳没)
出生地 : インディアナ州ゴーシェン
死没地 : カリフォルニア州パームスプリングス
職業 : 映画監督
主な作品 :
『ヨーク軍曹』
『赤い河』
『紳士は金髪がお好き 』
『リオ・ブラボー 』
『ハタリ! 』
受賞 :
アカデミー賞
アカデミー名誉賞
1975年

ハワード・ホークス

1975年、アカデミー名誉賞を授与されるが、現役時にはアカデミー賞の受賞どころかノミネートも1度しかなく、また作品も同じく賞に縁がなかったアルフレッド・ヒッチコックのような際立った独自のスタイルがなかったため、これほどの傑作を世に放ちながらもホークスは生涯を通じて、批評家からは通俗的な娯楽専門のB級映画監督としてしか見られなかった。しかし、1950年代に入ってからは、ヒッチコックと共にフランスの『カイエ・デュ・シネマ』誌のジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどから、多くの作品で企画、脚本、キャスティングにも関わるなど、自分のビジョンを貫き通すホークスの徹底的な作家主義の姿勢に関して大きな評価を受け、世界的な映画作家という評価が高まっていく。このことは皮肉をもこめて「ヒッチコック=ホークス主義」と呼ばれるが、ホークス自身は自分を職人監督だと割り切っており、ストーリーを語っているに過ぎないと述べている。またアメリカ本国でも、1960年代から1970年代にかけて、ピーター・ボグダノヴィッチはじめ若い映画研究家からの評価も高まり、多くのホークス研究文が世に出始め、またホークス自身も彼らからのインタビューを快く受けていた。アーネスト・ヘミングウェイやウィリアム・フォークナーとアメリカ文学界の重鎮たちとの交流も深く、特にフォークナーとは親友であり、脚本家としてホークスの映画制作に4作品ほど参加していた。「ヴィクター・フレミングに『風と共に去りぬ』の演出の助言をした」「飛行中に病気で倒れたパイロットの代わりに旅客機を操縦した」など虚言癖がある人物で、晩年、若い映画評論家とのインタビューで語ったエピソードも信憑性が低いと云われている。また人と付き合う際、距離を置き、また手紙や日記といった類のものは残さない性格で、そして上記の虚言癖ゆえに、幼少時代から映画界入りするまでの詳しいエピソードはあまりよくわかっていない。

主な監督作品 :
1926年 栄光への道 : The Road to Glory
1928年 港々に女あり : A Girl in Every Port
1930年 暁の偵察 : The Dawn Patrol
1932年 暗黒街の顔役 : Scarface
1932年 虎鮫 : Tiger Shark
1933年 今日限りの命 : Today We Live
1934年 特急二十世紀 : Twentieth Century
1936年 バーバリー・コースト : Barbary Coast
1936年 無限の青空 : Ceiling Zero
1936年 大自然の凱歌 : Come and Get It
1938年 赤ちゃん教育 : Bringing Up Baby
1940年 ヒズ・ガール・フライデー : His Girl Friday
1939年 コンドル : Only Angels Have Wings
1941年 ヨーク軍曹 : Sergeant York
1941年 教授と美女 : Ball of Fire
1943年 空軍/エア・フォース : Air Force
1944年 脱出 : To Have and Have Not
1946年 三つ数えろ : The Big Sleep
1948年 赤い河 : Red River
1948年 ヒットパレード : A Song Is Born
1952年 モンキー・ビジネス : Monkey Business
1952年 人生模様 : O. Henry's Full House
1953年 紳士は金髪がお好き : Gentlemen Prefer Blondes
1959年 リオ・ブラボー : Rio Bravo
1961年 ハタリ! : Hatari!
1965年 レッドライン7000 : Red Line 7000
1966年 エル・ドラド : El Dorado
1970年 リオ・ロボ : Rio Lobo
[ 2017/11/19 15:00 ] 監督 | TB(-) | CM(0)
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