(スタッフ/監督)
『 ハワード・ホークス 』 Howard Hawks
生年月日 : 1896年05月30日
没年月日 : 1977年12月26日( 81 歳没)
出生地 : インディアナ州ゴーシェン
死没地 : カリフォルニア州パームスプリングス
職業 : 映画監督
主な作品 :
『ヨーク軍曹』
『赤い河』
『紳士は金髪がお好き 』
『リオ・ブラボー 』
『ハタリ! 』
受賞 :
アカデミー賞
アカデミー名誉賞
1975年
1975年、アカデミー名誉賞を授与されるが、現役時にはアカデミー賞の受賞どころかノミネートも1度しかなく、また作品も同じく賞に縁がなかったアルフレッド・ヒッチコックのような際立った独自のスタイルがなかったため、これほどの傑作を世に放ちながらもホークスは生涯を通じて、批評家からは通俗的な娯楽専門のB級映画監督としてしか見られなかった。しかし、1950年代に入ってからは、ヒッチコックと共にフランスの『カイエ・デュ・シネマ』誌のジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどから、多くの作品で企画、脚本、キャスティングにも関わるなど、自分のビジョンを貫き通すホークスの徹底的な作家主義の姿勢に関して大きな評価を受け、世界的な映画作家という評価が高まっていく。このことは皮肉をもこめて「ヒッチコック=ホークス主義」と呼ばれるが、ホークス自身は自分を職人監督だと割り切っており、ストーリーを語っているに過ぎないと述べている。またアメリカ本国でも、1960年代から1970年代にかけて、ピーター・ボグダノヴィッチはじめ若い映画研究家からの評価も高まり、多くのホークス研究文が世に出始め、またホークス自身も彼らからのインタビューを快く受けていた。アーネスト・ヘミングウェイやウィリアム・フォークナーとアメリカ文学界の重鎮たちとの交流も深く、特にフォークナーとは親友であり、脚本家としてホークスの映画制作に4作品ほど参加していた。「ヴィクター・フレミングに『風と共に去りぬ』の演出の助言をした」「飛行中に病気で倒れたパイロットの代わりに旅客機を操縦した」など虚言癖がある人物で、晩年、若い映画評論家とのインタビューで語ったエピソードも信憑性が低いと云われている。また人と付き合う際、距離を置き、また手紙や日記といった類のものは残さない性格で、そして上記の虚言癖ゆえに、幼少時代から映画界入りするまでの詳しいエピソードはあまりよくわかっていない。
主な監督作品 : 1926年 栄光への道 : The Road to Glory
1928年 港々に女あり : A Girl in Every Port
1930年 暁の偵察 : The Dawn Patrol
1932年 暗黒街の顔役 : Scarface
1932年 虎鮫 : Tiger Shark
1933年 今日限りの命 : Today We Live
1934年 特急二十世紀 : Twentieth Century
1936年 バーバリー・コースト : Barbary Coast
1936年 無限の青空 : Ceiling Zero
1936年 大自然の凱歌 : Come and Get It
1938年 赤ちゃん教育 : Bringing Up Baby
1940年 ヒズ・ガール・フライデー : His Girl Friday
1939年 コンドル : Only Angels Have Wings
1941年 ヨーク軍曹 : Sergeant York
1941年 教授と美女 : Ball of Fire
1943年 空軍/エア・フォース : Air Force
1944年 脱出 : To Have and Have Not
1946年 三つ数えろ : The Big Sleep
1948年 赤い河 : Red River
1948年 ヒットパレード : A Song Is Born
1952年 モンキー・ビジネス : Monkey Business
1952年 人生模様 : O. Henry's Full House
1953年 紳士は金髪がお好き : Gentlemen Prefer Blondes
1959年 リオ・ブラボー : Rio Bravo
1961年 ハタリ! : Hatari!
1965年 レッドライン7000 : Red Line 7000
1966年 エル・ドラド : El Dorado
1970年 リオ・ロボ : Rio Lobo