(スタッフ/監督)
『 フレッド・ジンネマン 』 Fred Zinnemann
生年月日 : 1907年04月29日
没年月日 : 1997年03月14日( 89 歳没)
出生地 : オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
死没地 : イギリス ロンドン
職業 : 映画監督
受賞 :
アカデミー賞
作品賞
1966年『わが命つきるとも』
監督賞
1953年『地上より永遠に』
1966年『わが命つきるとも』
短編ドキュメンタリー映画賞
1951年『Benjy』
ニューヨーク映画批評家協会賞
作品賞
1952年『真昼の決闘』
1953年『地上より永遠に』
1966年『わが命つきるとも』
監督賞
1952年『真昼の決闘』
1953年『地上より永遠に』
1959年『尼僧物語』
1966年『わが命つきるとも』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1953年『地上より永遠に』
1966年『わが命つきるとも』
主な作品 :
『山河遥かなり 』
『真昼の決闘』
『地上より永遠に』
『尼僧物語』
『わが命つきるとも』
1941年にB級映画『Kid Glove Killer』を監督。これが初の(一般)長編映画で、これがジンネマンが見習いから職人になった映画監督としてのスタートになる。同じくB級映画の『Eyes in the Night』(1942年)を監督した後、1943年、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーでナチス・ドイツからの逃亡者を描いたAピクチャー『The Seventh Cross』(1943年)を、主役にスペンサー・トレイシーを迎えて監督するが、撮影後フロントと衝突したジンネマンは再びB級映画にまわされる。撮りたくない映画を2本撮るとその後は来る脚本を次々と断り、結局そのことが原因でMGMから停職処分を受けることになる。戦後、ヨーロッパから上陸した映画に対し、センチメンタリズムにあふれたハリウッド映画の中での仕事に、ジンネマンは疑問を感じる。その頃、ジンネマンにヨーロッパの戦争直後を舞台にした瓦礫の中の飢えた孤児を描く映画の仕事が来る。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーも暫く厄介払いができると考え、『山河遥かなり』(1947年)の製作が始まる。完成した作品はアカデミー賞にノミネートされる(いくつかの賞は受賞)など評価は得たもののヒットまでには至らなかった。アメリカに渡って19年のジンネマンだが、映画の題材やメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの宣伝効果もあり、ヨーロッパから輸入した監督という印象を与えた。1953年の『地上より永遠に』と1966年の『わが命つきるとも』でアカデミー監督賞を受賞している。
主な監督作品 : 1944年 第七の十字架 : The Seventh Cross
1947年 不思議な少年 : My Brother Talks to Horses
1948年 山河遥かなり : The Search
1948年 暴力行為 : Act of Violence
1950年 男たち : The Men
1952年 真昼の決闘 : High Noon
1953年 地上より永遠に : From Here to Eternity
1955年 オクラホマ! : Oklahoma!
1957年 夜を逃れて : A Hatful of Rain
1959年 尼僧物語 : The Nun's Story
1960年 サンダウナーズ : The Sundowners
1964年 日曜日には鼠を殺せ : Behold a Pale Horse
1966年 わが命つきるとも : A Man for All Seasons
1973年 ジャッカルの日 : The Day of the Jackal
1977年 ジュリア : Julia
1982年 氷壁の女 : Five Days One Summer