(スタッフ/監督)
『 ジョン・フォード 』 John Ford
生年月日 : 1894年02月01日
没年月日 : 1973年08月31日( 79 歳没)
出生地 : メイン州
国籍 : アメリカ合衆国
民族 : アイルランド系アメリカ人
職業 : 映画監督
受賞 :
アカデミー賞
アカデミー監督賞
1935年『男の敵』
1940年『怒りの葡萄』
1941年『わが谷は緑なりき』
1952年『静かなる男』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1935年『男の敵』
1939年『駅馬車』
1940年『怒りの葡萄』『果てなき船路』
1941年『わが谷は緑なりき』
ゴールデングローブ賞
1954年 開拓賞
ブルーリボン賞
外国映画賞
1963年『怒りの葡萄』
主な作品 :
『駅馬車』
『怒りの葡萄』
『わが谷は緑なりき』
『静かなる男』
『捜索者』
現代の映画監督に影響を与えた「黒澤明」監督、その黒澤監督に影響を与えた監督が「ジョン・フォード」である。
アイルランド系の3人兄弟の末っ子。1914年に兄フランシスの働くユニヴァーサル映画に入社。小道具係など様々な職を経験する。俳優としてもジャック・フォード名義でD・W・グリフィスの『國民の創生』などに出演。
1917年、二日酔いで仕事が出来なくなった兄に代わって助監督を務めるが、彼の演出シーンをユニヴァーサルの重役カール・レムリが気に入り、フォードは監督に昇進し、同年に『颱風』で監督デビュー。
初期の頃は、西部劇専門の映画監督として活躍しハリー・ケリー主演の映画を26本手がける。低予算の西部劇を製作した後、フォックス社(後の20世紀フォックス)に移籍。また1923年からジョン・フォードと改名し、1924年に発表した大作『アイアン・ホース』で大きな評価を得る。1927年、ドイツのベルリンを訪れ、F・W・ムルナウに直接映画技法を学ぶ。後の映画に大きく影響する照明や撮影は、この頃から出てくる。
1930年代にはシリアスなドラマにも取り組み、1935年にアイルランド独立運動に命を賭けた男たちを描いた『男の敵』を発表。
主な監督作品 : 1935年 男の敵 : The Informer
1935年 周遊する蒸気船 : Steamboat Round the Bend
1937年 テムプルの軍使 : Wee Willie Winkie
1937年 ハリケーン : The Hurricane
1938年 四人の復讐 : Four Men and a Prayer
1938年 サブマリン爆撃隊 : Submarine Patrol
1939年
駅馬車 : Stagecoach
1939年 若き日のリンカン : Young Mr. Lincoln
1939年 モホークの太鼓 : Drums Along the Mohawk
1940年
怒りの葡萄 : The Grapes of Wrath
1940年 果てなき航路 : The Long Voyage Home
1941年 タバコ・ロード : Tobacco Road
1941年 わが谷は緑なりき : How Green Was My Valley
1945年 コレヒドール戦記 : They Were Expendable
1946年 荒野の決闘 : My Darling Clementine
1947年 逃亡者 : The Fugitive
1948年 アパッチ砦 : Fort Apache
1948年 三人の名付け親 : Three Godfathers
1949年 黄色いリボン : She Wore a Yellow Ribbon
1950年 幌馬車 : Wagon Master
1950年 リオ・グランデの砦 : Rio Grande
1952年 静かなる男 : The Quiet Man
1953年 モガンボ : Mogambo
1955年 ミスタア・ロバーツ : Mister Roberts
1956年 捜索者 : The Searchers
1960年 バファロー大隊 : Sergeant Rutledge
1962年 西部開拓史 : How the West Was Won
1962年 リバティ・バランスを射った男 :
The Man Who Shot Liberty Valance
1966年 荒野の女たち : 7 Wome